|
私がアブダビと出会ったのは、決して偶然ではない――
第一次先遣隊は真っ向から勝負を挑んだが、人間由来の微生物に冒された。発熱により水分を失った彼らは、エノキダケにまで身をやつした。
第二次先遣隊は人間に取り入る穏和な作戦を採用したが、寄って集って褒め殺しに合い、ちやほやされたうえユデダコに加工された。
私は第三次先遣隊の仲間に向って「人間を初期目標とすることは適当でない」と、再三にわたり主張してきた。だが過去の失敗を知識でしか知らない連中はやたらと血気盛んで、唯ひとりの民間人である私はしだいに孤立していった。もちろんその苦い歴史を経験していないのは私も同様だったが、それゆえに彼らの想像力の乏しさは呆れるばかりであった。
そんなわけで二酸化炭素が薄い地球の大気圏に突入すると、私は探査艇にひとり乗り込み母船から脱出した。研究者の立場から移住の可能性を探るつもりだった。心配していた追っ手は現れなかった。向こうにとっても厄介払いができて、かえって好都合だったのかもしれない。
そうして地図もないまま上空を彷徨ったすえ、私が降り立ったのは乾燥した大地だった。そこは朝夕の気温差が激しく、我々にとって適した環境とはいえなかったが、だからこそ私はイズラと呼ばれるその国を選んだ。未だかつて火星人を迎えたことがないそこならば、何の偏見もなく私の話を聞いてくれるに違いないと思った。
だが現実はそう甘くはなく、地球の重力と乾いた風、くわえて照りつける太陽により矮小化した私は、心までも萎縮してしまった。卑屈になって、人目を避ける日々が続いた。むろん私は人間に会いたかったわけではなく、犬に狙いを定めていたのだが、彼らのほとんどは人間と一緒にいるため、近寄ることができなかった。
途方に暮れた私は自信をなくし、仲間から離脱したことを大いに悔やんだ。たまたま通りかかったバザールでも、たむろする犬を前に話しかけられず、彼らの誰何と強い日差しからあわてて逃げ出そうとして無様に転んだ。自分が情けなくなり、悔し涙が堪えきれず溢れてきた。
アブダビに出会ったのは、そのときだった。立ち並ぶ露店の一番端で寝転がっていた彼は、いままで目にした犬たちのように威嚇してくることも、無闇に尻尾を振り立てることもなく、いたって普通に接してくれた。擦りむいた第五触手を彼に舐めてもらいながら、私は母船の中では誰にも打ち明けたことのない悩みを自然と口にしていた。家族を火星に残してきた私には、心配の種が尽きることなくあった。
そんな私の一方的な話を嫌な顔ひとつせず聞いてくれたアブダビが、最後にぼそっと呟いた。
「俺のところに泊まっていくか?」
私はできるかぎりの感謝を示すべく、六本の触手で三つの祈りの形を作った。
そして砂塵の舞う石畳を掃き清めるように揺れる灰色の尻尾に従った私は、アブダビの家族であるムハマド夫妻のお世話になることとなった。
ムハマド夫妻はアブダビと同様に寡黙で信心深い人たちだった。小さなことに頓着しないふたりは、余計な詮索なしに私を迎え入れてくれた。夫人が作る質素ながらも手の込んだ料理と、主人が振舞ってくれる水煙草。そのどちらも不思議と口に合い、私はいつになくくつろいだ。
そういった家族的なもてなしが、ほどなく私の日常となった。昼はアブダビの背中にしがみつき、散歩がてら街中を案内してもらい、夜は狭い探査艇に彼を押し込んで、上空からの眺めをプレゼントした。そうしていつしか、ふと目覚めて故郷に思いを巡らすことも少なくなっていった。アブダビのちょっと埃っぽい毛の枕が、凹凸のない私の肌に馴染んできたのだった。
そんなある朝、私は普段よりも早くに起こされた。寝ぼけ眼をきゅっと擦ると、不安げなアブダビの顔があった。彼にせっつかれ裏庭に出た私は、ムハマド夫人が大事に育てている花のアーチをくぐった。厳しい環境をものともせず、小さな花は健気に咲いていた。だが、棘を生やす茎の先に鮮やかな赤を宿らせたそれの背景は、抜けるような青ではなく、淀んだ緑色の空だった。
母屋に着くと、我が同胞がブラウン管のなかで、空を覆った電磁バリアについて説明していた。たどたどしい言葉を補おうとして、八本の触手をフルに活用している最中だった。私は通訳となり、彼らの意図をムハマド夫妻とアブダビに伝えた。意外なことにそれは強硬なものではなく、私の主張を汲んだ作戦といっても良かった。彼らはこのイズラを人質にして、国際社会と交渉を始めるつもりらしかった。
「決して危害を加えるようなことはいたしませんので、どうかしばらくの間、ご協力をお願いいたします」
私はそう訳しながら、テレビに映る司令官の懸命な判断に心から拍手を送った。火星人としてではなく、アブダビの友人として精一杯の賛意を示した。
しかしその一週間後、緑色の平和は破られた。立て続けに放たれたミサイルが、電磁バリアを綻ばせたのだった。各地の被害状況を伝えるニュースをあとに、私は探査艇に乗り込んだ。同行を申し出るアブダビには、第一触手と第二触手を交差させたVの字で応えた。キャノピー越しに見せつけてやったそれは、地球上で一番好きなサインだった。
ブースター全開で上空に舞い上がり、ミサイルの軌跡を逆に辿ってバリアの外に出る。
母船の左舷では保全係の連中が飛来する戦闘機に脅かされながらも、溶接の火花を散らしていた。
「おい、どうなってるんだ?」
私は無線で呼びかけた。
「知るか! 人間どもに聞け!」
運よく母船から攻撃艇が射出された。それを追って戦闘機が機首を上げる。私はその隙を突き、ひび割れた大地を舐めるように高度を落とした。砂埃のカーテンを突き破り進んでいった。途中、敵の前進基地らしきものが目に入ったが、着陸するつもりはなかった。意思を持たない兵士に説得は無駄だと思った。それより向かうべき場所があるのを私は知っていた。この破壊を指示したに違いない西の大国。地球の代表を自任するその国で、なんとしても話を聞いてもらわねばならなかった。
待っててくれ、アブダビ……
友の存在が根っからの臆病者に勇気を与えてくれた。私は危険を顧みず、ある意味地球の縮図といえる人種のるつぼのなかで、根気良く演説を繰り返した。だが耳を傾けてくれる人はほとんどいなかった。この地では「イズラは火星人と手を結んで世界を牛耳ろうとしている」という報道がなされていた。それを頭から信じ込んだ彼らは、真実に目を向けようとはしなかった。
それでもあきらめきれず街頭でひとり喉を枯らす私は、不意に沸き起こった歓声に、ビルの壁に掲げられた巨大モニターを見上げた。
「ついさきほど、イズラへの総攻撃が開始されました!」
まるでコマーシャルをするように嬉々とした声を張り上げる軽薄そうな男。そいつの足元で人々は抱き合い、自分たちが信じる神に感謝の祈りを捧げていた。
私は急いで探査艇を発進させた。イズラが果てしなく遠く感じた。エンジンが焼きつくほど、ブースターを連続して使った。その無謀が、私のちっぽけな希望を叶えるようにと願った。しかし世界の名をまとう軍隊は迅速で、私の急く気持ちなど及びもつかなかった。
見渡す限りの瓦礫。あれほど親しんだ家がどこにあるかもわからない。
見当をつけて着陸し、歩いて探した。
ふと懐かしい香り。あの赤い花の記憶。
誘われるように、崩れた石造りの壁を乗り越える。
ムハマド夫人の乱れた髪。ひざまずくもとには積み石がひと山。
それは彼女が夫のために積み上げたもの。
「アブダビは……?」
私はそんな必要もないのに、声をひそめて訊いた。
「もうひとつ作らなきゃ」
夫人が目を遣った先には、薄汚れた毛皮が丸まっていた。
かつてアブダビだったもの。私は彼の体温の名残を求めて覆いかぶさった。
砂にまみれた灰色の毛の下から、彼のとは違う匂いが漂ってきた。
「守ってくれたの」
その言葉に彼の身体を持ち上げると、小さな花が現れた。
硬い棘に傷つけられ流れ出した彼の血とともに、赤く咲いていた。
私は全ての触手を伸ばし、彼を強く抱きしめた。
変わらぬ友情の存在を自分の胸に確かめ、ゆっくりと立ち上がった。
夫人に三つのしるしで別れを告げ、私は探査艇に乗り込んだ。
地に墜ちた母船には、イズラを破壊した人間たちが群がっていた。
その先に彼らが本当に守りたかったものが見えた。
そびえる筒の先で炎が揺らめいている。
あと数十年の命といわれる儚い宝物だった。
私は再び無謀な賭けに挑んだ。ブースターを解き放ち、機体を垂直に立てた。この探査艇で火星に帰れる可能性は薄かったが、どうしても知らせねばならないことがあった。同類を躊躇いなく虐殺する人間たちの姿を伝え、移住計画そのものの中止を訴えなければならなかった。
ムハマド夫妻のような例外はあっても、人間は根本的に残酷だと。
自分自身を蝕むように、あてどなく破壊を繰り返す種族なのだと。
つまり……
私がアブダビを失ったのは、決して偶然ではない――
─── 了 ───
【ロング・ロング・グッドバイ】は【犬祭3/自由投稿部門】に参加しております。
犬祭3作品感想掲示板へ
|